
| 事件発生当時の新聞・週刊誌報道を斬る! |
| あらためて思う、マスコミ報道の責任 |
ペンネーム MC
はじめに
「袴田巌さんの再審を求める会」の前身である「袴田事件の報道を収集し配布する会」は、地元地方紙の静岡新聞と全国紙の毎日・朝日・読売新聞の地方版に掲載された事件関連記事を収集・配布し、1996年11月にはそれらをまとめた『袴田事件発生当時の新聞報道資料集』を発行した。
そしてその『資料集』は、その後弁護人によるマスコミ報道検証論文の執筆などに利用されただけでなく、再審請求の即時抗告審で証拠として提出されるなど、事件の本質を見極める上で欠くことのできない貴重な資料となっている。
「では週刊誌や他の新聞はどんな報道をしていたのだろう」と素朴な疑問を持った私は、もしかしたら新証拠につながる興味深い記事が見つかるかもしれないとの好奇心も手伝って、当時の週刊誌や前述4紙以外の新聞記事を収集してみようと思い立ち、おもに国会図書館でその作業を行った。
ただし、閲覧した週刊誌・新聞とも全ての号・刊に目を通したわけではなく、目を通した号・刊についても記事を見落とした可能性を否定できないから、完璧に収集できたとは到底言い切れない。
1.週刊誌報道について
おもに調べた週刊誌は、週刊朝日・週刊読売・サンデー毎日・週刊サンケイ・週刊新潮・週刊文春・週刊現代で、調査年代は事件発生から最高裁による上告棄却までの間のうち、事件に関する主要な出来事があった前後数週間分であるが、記事を掲載していたのは朝日・読売・毎日・新潮・文春の5誌だけで、しかも掲載記事数は朝日の2本以外は各誌とも1本のみであり、そのほとんどが昭和41年8月18日の袴田さん逮捕直後の9月の号に集中し、静岡地裁一審死刑判決に関する記事を最後にその後は皆無だった。なお上告棄却前に「袴田事件」の冤罪性をいち早く世に知らしめた高杉晋吾氏による特集連載記事『袴田巌放火殺人事件の疑惑』(週刊文春・昭和55年10月2日から30日号)は、「配布する会」が既に収集しているとのことだったので収集対象からは外した。
では、記事の見出しを掲載年月日順に挙げてみよう。
・ 『目撃者なき深夜の惨劇 容疑者は雇人の元ボクサー』(週刊朝日・昭和41年9月2日号)
・ 『一家四人殺し容疑者のナゾ 科学捜査と犯行否認との対決』(週刊読売・昭和41年9月2日号)
・ 『ドロはかぬ元ボクサー 一家四人強殺の証拠は十分』(サンデー毎日・昭和41年9月4日号)
・ 『重役一家殺し容疑者にからむ謎 プロボクサーから殺人事件容疑者となった男の履歴書』(週刊文春・昭和41年9月5日号)
・ 『失われた甘い栄光』(週刊新潮・昭和41年9月24日号)
・ 『拙劣捜査を叱られた捜査陣 袴田事件求刑通りの死刑判決だが・・・』(週刊朝日・昭和43年9月27日号)
これら5誌の中では、後に推理小説作家になった故・津村秀介氏の手に成るノンフィクション小説風の記事を7ページに亘って掲載した新潮の異質ぶりが目に付く。しかし、その内容は袴田さんの半生を取材した跡が多少見えるとはいえ、「袴田さん犯人視報道」の範疇から漏れるものでは決してなく、むしろ身勝手な動機から残忍な犯行に及んだ血も涙もない凶悪犯との印象を増幅させるものであることは、次に引くこの記事の結末部分を読めば明らかだろう。
「動機は一体何かね?」
「刑事さん、そう言われたって・・・・」
「四人も殺害した上に火事まで起こしているのだぞ。かくれた理由があるのだろ?」
袴田の横顔には表情がなかった。そこにはたいした理由もなく殺された四人を想う情はなかったし、別れた妻や、実家に預けてある我子を考えているふうにも見えない。
「それより刑事さん―――」
と、袴田は話題をかえようとした。沈黙を続けている二十日の間もそうだった。事件に関しては頑として口を割らないくせに、ボクシングになると急にしゃべりだすのだ。
「おれの右ストレートは、一時はすごく注目をあつめたんですぜ・・・・」
そのゆがんだ視線で追っているのは、失われた過去の栄光だけのようだった。
その一方で、文春の記事は袴田さんの犯行を疑問視する地元関係者やボクシング関係者の証言を複数載せ、警察が推理する動機と、犯行の残忍性との因果関係に疑問を呈するなど、程度の差はあれ他誌が「袴田さん犯人視報道」に傾いている中にあって、ジャーナリストとして不可欠な濁りのない観察眼とバランス感覚を記者が持ち続けていたことをうかがわせる。
ただ文春の記事にしても、書かれたのは袴田さんが拷問的な取調べによって「自白」させられる9月6日以前の段階であるから、自供後においても尚そうした姿勢を保ち、冷静な記事を書き続けられたかどうかはわからない。
なお新証拠の発掘という観点で見た場合、直接それにつながるような特記すべき記事は残念ながら見出すことはできなかった。記事の絶対量の少なさからすればそれも致し方ないかもしれない。
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| 週刊朝日(昭和四三年九月二七日号)では、自白偏重の捜査を批判した静岡地裁判決について短く報道した。 |
2.新聞報道について
静岡版を閲覧することができたサンケイ(産経)新聞と東京新聞に関しては、かなりの量の記事を収集することができた。その他、日本経済新聞・中日新聞・信濃毎日新聞を調べ事件関連記事を収集した。なお神奈川新聞・山梨日日新聞も閲覧したが掲載記事が少ないため収集は見合わせた。調査年代は、サンケイ(産経)・東京・日経・中日は事件発生から特別抗告申立まで、信毎・神奈川・山梨は一審判決までの間で、週刊誌同様事件に関する主要な出来事があった日の前後数日間分である。
まずは下の記事を見てもらいたい。これはサンケイ新聞全国版の昭和41年7月4日付夕刊に掲載された記事である。私はマイクロフィルムリーダーの画面にこの記事が映し出されたとき一瞬目を疑った。完全な誤報である。
| サンケイ新聞(全国版)昭和41年7月4日(夕刊)より 一家四人殺しの犯人逮捕 清水 就職世話した従業員 寮から血染めのシャツ “金めあて”を自供 【清水】六月三十日未明、静岡県清水市「こがね味噌本舗」専務取締役、Hさん(四一)方でHさん夫婦とこども二人の家族四人が殺され、家が放火された事件の犯人は、同みそ工場の従業員とわかり逮捕された。 清水署の特捜本部は、事件発生以来内部事情にくわしいものの犯行とみて四日午前六時から現場から約三〇メートル離れたみそ工場の従業員宿舎などを家宅捜査した結果、独身寮から血染めのシャツを発見した。このシャツは、同社製造部員、袴田巌(三〇)の室内にあり「H」の縫いとりがあったところから、捜査本部では袴田を重要参考人として本部によんで調べたところ、午後二時すぎ、犯行を自供した。 本部では、動機などについて追及しているが、袴田は事件後もふだんどおり勤めていた。 袴田はかつて清水市内でバーのバーテンをつとめていたところ、客のHさんと知り合った。その後、バーを経営したが失敗、かわいがってくれたHさんに泣きついて昨年四月から同社に就職した。本部では、事件の前夜、Hさんが自宅に持ちかえった金をねらって押し入り、顔を見られたので殺したものと見られる。 |
前述の『資料集』からもわかるように、「袴田さん犯人視報道」の流れが形成される契機となったのは、7月4日に行われた袴田さんを重要参考人とする事情聴取であり、その事情聴取に関して袴田さんのイニシャル「H」を使用した報道には、毎日の大見出しに「従業員「H」」、そして朝日の本文中に「製造工Hさん」があるとこれまではされていた。ところがサンケイに至っては全国版で「犯人逮捕」の大見出しを掲げた上、もちろん本文では実名も報道するなど犯罪的ともいえる甚だしい人権侵害が行われていたのである。サンケイは翌日朝刊で慌てて訂正記事を掲載したが、そんなベタ記事が読者の目に留まるはずがないことは言うまでもない。なお、東京新聞全国版・昭和41年7月4日付夕刊には本文中に「従業員「H」」、サンケイ新聞静岡版にも本文中に「Hさん」が使用されていた。
では、一体なぜサンケイは誤報を流してしまったのだろうか。その記事掲載にかかわった関係者に直接話を聞いたわけではないから、ここから先は想像の域を出るものではまったくないが、そこには単なる現場記者の取材ミスとは考えられない、商業マスコミに付いてまわる負の体質と、当局の広告塔と成り下がってしまいがちなマスコミと捜査機関との関係の構造的欠陥、はたまた現場の刑事と記者との間で確立した「なあなあ主義」が見え隠れする。
ところで、記事収集のモチベーションでもあった新証拠発掘については、収集した新聞記事がかなりの量に上り今のところその全てに目を通せてはいないため、ここで具体的な記事を紹介することはできない。恐らく目を通したところで逆転サヨナラホームランが飛び出すことはないだろう。あまり期待を膨らませず、しかし慎重に作業を進めようと思う。犠牲フライだろうがスクイズだろうが一点ずつ重ねていけば、それだけ勝利に近づけることは間違いないはずである。
おわりに
日本では「逮捕=有罪」あるいは「被疑者=犯人」との認識が世間で幅を利かせている。起訴後の有罪率が99%以上である現実を前にしては、警察・検察に対する揺るぎない信頼が社会に存在していてもまったく不思議ではない。しかし、権力を監視すべき報道機関が「お抱え新聞社」となってしまってはその存在価値は最早ないどころか有害ですらある。「メディア・リテラシー」なる用語も概念も浸透していなかった時代に果たすべき「第四権力」の役割と責任は、むしろ現在より大きく重かったのであるから、サンケイを頂点とする「袴田さん犯人視報道」が事件の真相解明に与えたマイナスの影響を決して過小評価すべきではないだろう。
なお、収集した資料はコピーを取り「求める会」に提供したところ、事務局でコピー代等実費で引き取っていただくことになった。資料の具体的な活用法はまだ決まっていないが、記事のデータベース化を進めて効率よく記事が検索できるようになることが望まれる。より多くの人が目にできるようになればより多くの真実が明らかになり、そしてより大きな力が再審開始の扉を押すはずであるから。■