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『月刊 部落解放』11月号
“特集 冤罪はなぜ起こるのか”より転載

全面証拠開示は冤罪防止に不可欠
秋山賢三弁護士
袴田事件弁護団
 

証拠開示問題の重要性
■「無罪証拠」を被告人・弁護人は閲覧できない

 検察官手持ち証拠のうち、検察官が取り調べ請求しない証拠を被告人側に閲覧させる義務については、従前の刑事訴訟法は何も規定していなかった。押収した大量の証拠資料の中から、検察官は、有罪判決獲得に役立ちそうな証拠を「つまみ食い的」に請求するが、被告人の無罪につながりそうな証拠(消極証拠)は開示されず、その存在すら明示されないまま地検(地方検察庁)の記録庫で眠りつづける。有罪証拠だけが検察官に送致され、その余の証拠は警察に保管されたまま未送致で終わる事例もしばしばある。市民の権利を侵害して集められた証拠物は、それが本来、「国民のための公共財」であるのに、被告人に対する有罪判決獲得のためには用いられても、無実の被告人がそれに接近することすら許されてはいない。

■「証拠漁り」と証拠開示の違い
 弁護人のする証拠開示請求に対し、検察官が反対する論拠として「証拠漁り(fishing expedition)」である旨、主張されることがしばしばある。
 しかし、フィッシング・エクスペディションなる概念は、物の捜索、とりわけ逮捕・押収の際に捜査権が濫用されやすいことにかんがみ、捜査に従事する検察官や警察官に対して違法を犯してはならない旨、警告するのが本来の趣旨である。アメリカ合衆国連邦憲法修正第四条は、「不合理な捜索及び逮捕.押収に対し、身体、住居、書類及び所有物の安全を保障される人民の権利は、これを侵害してはならない。令状はすべて、……押収したり捜索する場所及び逮捕・押収する人又は物が明示されていない限り、これを発布してはならない」旨明記しているが、fishing expeditionは、不合理な捜索や逮捕・押収の防止と違法に押収された証拠の排除に関する修正第四条に関して論じられている概念なのである。捜査機関の「証拠探し行為」は、それが市民の権利を直接的に侵害するために、必要性も乏しいのに権力行使に籍口した「証拠漁り」を厳しく戒めているわけである。

■わが国裁判官の論説の誤り
 わが国の裁判官の著作や論文の中には、弁護人の証拠開示請求について、それが「証拠漁り」に該当する旨を説いて反対する趣旨のものがある。たとえば、石井一正『刑事実務証拠法第二版』(判例タイムズ社・一九九六年)や、平野龍一・松尾浩也編『新実例刑事訴訟法U』(青林書院・一九九八年)三二七頁(中川博之)などである。これらの論述は、「魚釣りの旅」なる概念が、まず修正四条が規定する国家機関に対する市民の側からの人権保障概念であることの無知・無理解、証拠開示が「これから集めようとする証拠の問題」ではなく、「すでに集められた証拠の開示(ディスカバリー)の問題」であることについての無理解、当事者対等主義を表面的・形式的にのみ理解し、無尽蔵の税金を用いてフルに立証活動を展開できる国家機関と、冤罪を雪ぐために血のにじむような努力をするしかない国民とをまったく同一視している、の三つの点で基本的に誤っている。裁判官による表面的・形式的理解は、誤判・冤罪という刑事裁判最大の悲劇をもたらす。検察官から「有罪証拠」ばかりを見せつけられている現実に気づくことなく、「無罪証拠の隠匿」の可能性に思いいたらない裁判官は「誤判・冤罪の母」となりやすいのである。

■松川事件の「諏訪メモ」
 松川事件では、一審で死刑判決五名(二審では四名)を含む被告人に有罪が宣告されたが、最高裁大法廷で「諏訪メモ」が法廷に顕出され、被告人らの「共同謀議」の架空性がついに証明された。「諏訪メモ」により、一九四九(昭和二十四)年八月十五日午前十時三十分から東芝松川工場で団体交渉が開始されたが、東芝労組員の被告人・佐藤一の発言が午前中の最後まで続いていた旨のメモ記載があり、ここに太田自白による「被告人佐藤一が午前十一時十五分松川駅発の電車に間に合うように団交から退席した」との供述が疑わしくなり、結局、「佐藤一被告人は同日午前十一時十五分松川駅発の下り列車に間に合う時刻に団体交渉の席を出たとの原判断には疑なきを得ない」(最大判昭和三十四年八月十日、刑集十三巻一四一九頁)と判断され、歴史的な仙台高裁全員無罪判決として結実したのである。無実の被告の訴えを裁判所に認めさせるうえで、証拠開示がいかに巨大な力を発揮するものなのか、われわれはあらためて驚嘆せざるをえない。

■再審・無罪事件と証拠開示
 判決確定後、関係者、弁護人の血のにじむ努力の結果、再審・無罪にいたった再審請求事件の中には、とりわけ未提出証拠の開示によって活路を切り開いたケースが多い。たとえば、松山事件(請求人に虚偽の自白をさせた同房者Tの供述調書、布団襟の裏に人血痕が付着してはいないとする平塚鑑定書)、免田事件(請求人が犯行日にK方に宿泊したことを述べてアリバイを証明するKの員面調書)、弘前事件(血痕付着の有無に関するM鑑定書)、財田川事件(警察保管中の「財田村強盗殺人事件捜査報告書類捜査課」と題する書類綴り。この未提出証拠の提出により、「二度突き」により生じたと見られる創傷の状況が、捜査当時すでに警察官ら周知のことであったことが明らかとなった)、徳島事件(第五次請求審における二十二冊の未提出記録の提出。これにより、真犯人を目撃したとする人物の供述証拠や、電線補修の事実を示唆する写真鑑定書などで、二少年の偽証や外部犯人説が裏づけられた)などである。
 確定死刑囚四名を含む晴れて再審・無罪となった冤罪者のそれぞれの人生の狭間を回顧するとき、無実証拠の隠匿がいかに犯罪的であるか、言わずとも明らかである。

わが国証拠開示の現状と問題点
■立法の不備と最高裁四十四年決定以後の運用

 旧刑訴法下では、検察官は公訴提起とともに手持ち証拠をすべて裁判所に引き継ぎ、弁護人はこれを閲覧・謄写できたので証拠開示の問題は生じなかった。起訴状一本主義の採用による現行刑訴法下では、証拠は検察官の手持ちのままであるのに、証拠開示を正面から認める明文規定は置かれなかった。
 昭和四十四(一九六九)年四月二十五日、最高裁第二小法廷で裁判所の訴訟指揮権にもとづく検察官に対する証拠開示命令に関して二つの決定が出された。しかし、四十四年最高裁決定は、以下のような明白な限界と弱点を包蔵していた。@被告人側に開示命令請求権が認められず、単なる「申出」にとどまり、弁護人側にはいまだ包括的な証拠へのアクセス権は保障されてはいない。Aその反面、検察官の証拠開示義務は認められず、個々の事案で証拠開示命令が発せられた場合にのみ、これに応ずる義務が生ずるのにとどまる。B公判前の開示や証拠調べ以前の段階での開示についても、その手続きや具体的なルールは整備されてはいない。C裁判所の「訴訟指揮権」の具体的な行使状況についても、概して「真に必要な程度に達している場合」でないと、訴訟指揮権を行使して開示問題に介入することを躊躇する傾向が顕著である。D検察官は、被告人が無罪を争う事案については手持ち証拠の開示に応じない場合が多く、また、弁護人が証拠に同意することを条件として初めて事前開示に応ずるなど「取引的な申出」がなされるケースもしばしばある、などの事情により、被告人の十分な防御権行使に沿う運用とは程遠い現状にある。

■国際人権規約法上の正当性
○全面的証拠開示は「世界の流れ」

 大陸法系の職権主義を採用するドイツ、フランスなどでは、起訴と同時に一件記録が裁判所に提出されるので、深刻な証拠開示の問題は生じてはいない。わが国と同じく、当事者主義的刑事訴訟のモデルとされているイギリス、アメリカ、カナダなど、英米法をルーツとする国の裁判では、一九六〇年以降、とくに八○年代から九〇年代にかけて、証拠開示を被告人の権利として認め、位置づける流れが支配的傾向である。
 アメリカでは、真実発見、手続きの迅速化、効率化の視点から、連邦刑事訴訟規則の改正を重ね、被告人の供述関係、鑑定関係書類など証拠隠滅の可能性の少ない書類については、公判前の開示を義務づけるなど、検察官が証拠開示義務を負う範囲を拡大させている。イギリスでは、証拠不開示による誤判が一九八○年代に判明し、一九九六年、刑事手続・犯罪捜査法が制定され、弁護側に有利な資料となりうると訴追側が判断する書類などについて原則開示が義務づけられている。カナダにおいては、マーシャル事件をさきがけとし、検察官の事前全面開示義務を肯定した一九九一年カナダ連邦最高裁判決を契機として準則や手続きが急速に整備されている。

○国際人権B規約
 わが国も批准している国際人権B規約(「市民的及び政治的権利に関する国際規約」)第一四条三項(b)には、被告人は「防御の準備のために十分な時間及び便益を与えられ並びに自ら選任する弁護人と連絡すること」が保障されている。この規約条項の公式解釈によれば、この「便益を与えられる」という中には、「証拠にアクセスする権利」を当然に含むと解釈されており、とくに「十分な時間」を保障する点に意味があるとされている。
 一九九八(平成十)年九月二十一日付で確定された「国際人権(自由権)規約に基づき提出された第四回日本政府報告書に対する日弁連報告書」五二頁にも、「日本における証拠開示の法制度と運用は、規約一四条三項(b)に違反する。政府は、被告人・弁護人の全面的証拠開示請求権を認める立法措置を講ずるべきである。また、同時に、規約九条四項に基づき、身体拘束に関する記録への被疑者・被告人・弁護人のアクセス権を認めるべきである。」と明確に位置づけられている。

○国際人権法上の証拠開示
 検察官手持ち証拠の全面的開示は、他の種々の国際人権法の理念によっても、その正当性が裏づけられ、確認されている。すなわち、

@ 世界人権宣言(一九四八年国連総会採択)第十条(公平な裁判を受ける権利)「すべて人は、自己の権利及び義務並びに自己に対する刑事責任が決定されるに当っては、独立の公平な裁判所による公正な公開の審理を受けることについて完全に平等の権利を有する。」
A 国際法曹委員会第二同大会のデリー宣言(一九五九年)
B 国連被拘禁者保護原則(一九八八年国連総会採択)
C 第八回国連犯罪防止会議「弁護士の役割に関する基本原則」(一九九〇年)


 これらの国際人権法は、実体証拠に対する被告人・弁護人のアクセス権を保障するばかりではなく、身柄拘束、取り調べにかかわる情報(資料)へのアクセスを保障しようとするものである。
 こうしてわれわれは、捜査段階で証拠開示が認められないわが国の状況が国際的ルールとはいかに隔絶・乖離しているかを痛感する。したがって、今後のわが国の制度・運用については、国際人権法の水準と対比させながら、その不備を指摘し、国際人権法の水準を裁判上の主張に援用することなどにより、わが国の実務に少しでも反映させる努力が常に必要とされている。

司法制度改革審議会による制度改革
 司法制度改革審議会意見書を受けて、平成十六(二〇〇四)年法律第六二号により刑訴法一部改正がなされ、証拠開示については、刑訴法三二八条の二から同条の三二までの一連の規定が置かれた。具体的には、三段階の証拠開示手続が規定され、@検察官請求証拠の開示(同条の一四)は現在と同様であるが、検察官が供述録取書などを請求せずにいきなり証人尋問を請求するときは予定供述内容の開示が必要とされる。次に、A同条の一五(類型証拠開示の活用)が被告人側主張明示前の開示制度として規定され、次いで、B被告人が主張を明示したときに、その主張に関連して同条の二〇(争点関連証拠開示)が規定された。そもそも、およそ証拠開示に関する規定自体が不備であったことを考えると、裁定制度(三一六条の二六)を伴った証拠開示制度創設の意義はそれなりに大きいといわれている。
 しかし、われわれは到底、これに満足することはできない。
 第一に、司法制度改革推進本部が提示した試案では、証拠開示に関し全面開示を主張するA案と従前と同じ原則不開示のB案とが提示されていたが、結局、A案は採用されなかった。しかし本来、捜査により集められた証拠は、すべてが公正な裁判に利用されるべき「公共財」である。「検察官手持ち証拠」とはいっても、検察官が一人占めできるいわれはなく、本来、国民に全面事前開示されて当然である。まして全面事前開示が欠けると審理が停滞することはこれまでの経過からも明らかであるし、裁判員制度の発足が日程に上っている現在、このままでは、早期審理を妨げ、冤罪の危険性をさらに温存させることにもなりかねない。
 第二に、証拠開示が第一回公判期日前の「公判前整理手続」の中で規定されていることの問題である。検察官立証前のこの段階では、弁護人は証拠関係の総体を把握しきれないことがしばしばあり、必然的に第一次判断権者としての検察官の発言力が大きくなる。しかも、同条の三二は「公判前整理手続を経た事件では、やむを得ない事由がなければ公判前整理手続後は証拠請求すらできない」とされている。しかし「諏訪メモ」の場合、無実の被告人たちが隠匿された未開示証拠にアクセスしえたのは実に上告審段階になってからであった。
 第三に、前記程度の開示内容であれば、従前の規定によっても裁判所の裁量によって運用が不可能ではないことである。四十四年決定が述べる「訴訟の発展段階に即応した訴訟指揮権」により、裁判所の裁量によって十分に運用が可能であり、細かい規定がかえって桎梏になることすら考えられる。

おわりに
 刑事裁判の目的は「無辜の不処罰」にあり、そのうえで、正しく確定された有罪犯人に対し適正な量刑を盛ることである。
 裁判員制度の導入とともに、今後、この国では裁判官が国民と共同して裁判の運営に当たることになる。この制度下においては、国民全体として誤判・冤罪を防止するための方策が種々模索され、追究されなければならない。
 しかしながら、全面的証拠開示と捜査過程の可視化、この二つを欠いたままでは、真の「刑事司法改革」とは要するに絵に描いた餅にすぎないこととなりかねない。
 われわれは、裁判員制度の運用ともあわせ、今後の証拠開示システムの運用を厳しく見守っていかなければならない。■